きっかけは以前に観た『ミセス・ハリス、パリへ行く』だった。
私はあの映画(ミセス・ハリス)が大好きで今でもお気に入りの1作になっているのね。「レイノルズの姉役どこかで見たんだよなぁ…?」って気になって調べてたら『ファントム・スレッド』でダニエル・デイ=ルイスの姉シリル役と『ミセス・ハリス、パリへ行く』のハリスさんが同一人物(レスリー・マンヴィル)だって知って、それで観たんだよね。
で、観終わった後「なんでそうなる?」がまず第一次感想だった。アルマのやってる事は明らかに犯罪じゃんってツッコミも入れたしね。
でも同時に、なぜか「これも、愛なのかぁ…」とも思った部分もあった。
このなんともモヤモヤして湿度と粘度が高い感覚、気持ち悪いなと思いつつ、なんで2人の間に「愛」も感じるのか。今回はそこを掘り下げてみたい。
※本記事の評価は、こちらの基準に基づいています → 評価基準はこちら
作品紹介
作品情報
| 作品名(原題/邦題) | Phantom Thread / ファントム・スレッド |
| 上映時間 | 130分 |
| 監督名 | ポール・トーマス・アンダーソン |
| 公開年(国または地域) | 2017年(アメリカ)、2018年(日本) |
| 主要キャスト | ダニエル・デイ=ルイス、ヴィッキー・クリープス、レスリー・マンヴィル |
| 年齢制限(レーティング) | G(全年齢対象) |
作品評価
| IMDb スコア | 7.4/10 |
| Rotten Tomatoes(批評家 トマトメーター) | 91% |
| Rotten Tomatoes(観客 ポップコーンスコア) | 71% |
| TMDB スコア | 7.3/10 |
| Filmarksスコア | 3.8/5.0 |
『ファントム・スレッド』あらすじ|完璧主義の仕立屋と無名のモデル(ネタバレなし)
1950年代のロンドン。英国ファッション界の頂点に立つ天才仕立屋レイノルズは、完璧主義で神経質な日常を送っていた。ある日、彼は若きウェイトレスのアルマと出会い、彼女をミューズとして迎え入れる。しかし、彼の厳格なルーティンを壊していくアルマの存在が、次第に二人の関係を歪で予測不能な愛の形へと変容させていく。
ここからネタバレを含みます
【ネタバレ考察】アルマはなぜ毒を盛るのか?支配が生む「看病」という愛情
まずアルマの心理なんだけど、これ単純に「狂った女」ってだけではないなぁと思った。
彼女の行動を追っていくと、一つのパターンが見えてくる。
毒を盛る→レイノルズが苦しむ→アルマが看病する→レイノルズが頼ってくる→アルマが満たされる。
これって要するに、弱ったレイノルズだけが自分を必要としてくれる、ってことなんだよね。
普段のレイノルズって、自分の世界に完全に閉じこもってるじゃない?食事中の物音ひとつで機嫌が悪くなって、アルマが何かしようとするとすぐ鉄壁の壁を張る。そんな人間と対等にいようとしたら、アルマが取れる手段って、かなり限られてくる。
相手が自分を必要としてくれないと安心できない、っていう人いるじゃないですか。アルマはたぶんそういう人なんだよね。だから「手間をかけて看病する」がコストじゃなくて、自分の存在意義になってしまってる。
正直理屈としてはわかるけど、全く共感はできないし理解もできないけど、いるよね、そういう人って。

ぶっちゃけていうと、アルマって超ド級のヤンデレかまってちゃんだよね。まあ、こういう属性が好きな人もいるから世の中需要と供給は成り立ってるんだろうけど。
レイノルズは毒に気づいていた?きのこのシーンから読み解く「鎧を脱ぐ瞬間」
ここが個人的に一番「え、そういうこと?」ってなったポイント。
2回目のきのこ料理のシーン、レイノルズは「吐く前にキスをさせてくれ」って言うんだよね。あれ、気づいてて食べてるんだよ、明らかに。
じゃあなんで食べるのかっていうと、衰弱している間だけ、自分の鉄壁の鎧が脱げるからなんだろうね。
レイノルズって完璧主義者というか、自分が作り上げた「ハウス・オブ・ウッドコック」という世界の秩序を守ることに、全エネルギーを使ってる人じゃない?それって相当しんどいことで、自分の意志では止まれない人なんだよね。
病に伏せてる間だけ、誰かに委ねることができる。人間らしい人間に戻れる。
だから2回目の毒入りきのこは、ある意味でレイノルズ自身が「また壊していい」とアルマに委託した行為なんだよね。これ、愛でもあるし共依存でもあるんじゃないかな。この辺の心理も複雑なのよ。



病気になると人は気弱になるし、理由はなんであれ身体ダメージを負って強制的に完璧主義が不可能になって初めて、無防備な素の自分になれるって事なんだろうね。
オートクチュールの美学。なぜこの二人の関係は「美しい」と感じてしまうのか
ここすごく大事だと思うんだけど、この二人の関係って、1950年代ロンドンのオートクチュール(高級仕立服)という文脈の中にあるから辛うじて”様式美”として見られるんだよね。
「美のためなら不合理を許容する」って世界じゃないですか、オートクチュールって。完璧な一着のドレスのために、膨大な手間と時間をかける。合理性とか効率とか、そういう話じゃない世界なんだよね。
その世界観が二人の関係にもそのまま適用されてる気がするわけ。健全な愛の形じゃないのはわかってる、でもこの世界の中では一種の「美しい様式」として機能してしまってる。
だからこそ観てる私は毒きのこのシーンで「警察呼べよ」ってツッコみながらも、「でもこれも愛って言えば愛なのか…」と納得する部分も無きにしも非ずって感じたかな。
「共感できない映画」を楽しめるかどうか
どっちの心理もわかんないけど、どっちかと言うと、レイノルズに共感できる部分はある。
「止まれない完璧主義」って感覚、なんとなくわかるんだよね。何かを追いかけてる時や夢中になってる時って、自分でも止め方がわからなくなるでしょ?あれに似てるんだろうね。
でもアルマの毒盛りに関しては…いや、手間が増えるだけじゃん、って思ってしまったし、あそこは「わかる」より先に「それは違くない?」が来る。
この映画の面白いところって、登場人物に共感できなくても、作品として引き込まれる体験ができることなんだよね。映像の質感とジョニー・グリーンウッドの音楽が、あの独特の「ジトっとした湿度」を作り出してて、それだけで2時間見せられてしまう。
コアなファン向けに言うと、「共感できない映画を楽しめるかどうか」のリトマス試験紙みたいな作品だと思う。



いやでもさ、普通に考えて旦那を弱らせて看病する手間=愛情って世の妻は理解できる?亭主元気で留守が良いって私なら思うかなw
でも、それくらいアルマはレイノルズが世界の中心なんだろうね。そういう人に巡り合ったってのは羨ましい…かも?笑
『ファントム・スレッド』まとめ|正しくない愛が、なぜか美しく見えてしまう
レイノルズとアルマの関係、どう考えても全く健全じゃない。
それはわかった上で、この映画の世界観が「美しい」と感じさせてくるのは、二人が同じ方向を向いてる瞬間があるからだと思う。お互いが歪んでいて、その歪み方がたまたま噛み合ってる。
そういう関係って現実には機能しないし、推奨もできないんだけど、フィクションの中では確かに成立してしまってる。
皆さんはこの二人の関係、どう見ましたか?私はアラフィフですが、この境地に達したことはないですね(笑)



湿度の高い歪んだ愛と、映像、音楽も含めて、雰囲気で魅せてくる映画でした。恋愛玄人向けかも?
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